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【質問 No. 25021】 英文解釈について zoro 2024-06-20 19:07:32
 先生、前回へのご回答、ありがとうございました。昨日の文章の続きから、質問があります。

 In the 1970s, frustrated that little had been done to improve the situation in their schools, residents in some poor neighborhoods launched lawsuits based on < the ruling > in Brown v. Board of Education, which stated that education was "a right which must be made available to all on equal terms." These lawsuits contended that based on the Supreme Court's verdict, funding disparities preventing citizens in impoverished communities from receiving education on "equal terms" were unconstitutional.

(私訳)「1970年代に、彼らの学校の状況が、ほとんど改善されないことに、苛立ちを示し、貧しい近隣に住む住民は、教育は、全ての人が、対等に利用出来るべき権利であるという、Brown v. Board of Education に基づいて、訴訟を起こした。このような訴訟は、最高裁判所の評決に基づいて、貧困地域に住む市民が、平等に教育を受ける妨げとなる、格差に財政的な支援をするのは、憲法違反であると主張した」

 the ruling の品詞と、訳し方がわかりません。

 よろしくお願い致します。



【回答】
 ご質問の英文の意味は、「1970年代、学校の状況を改善するために、ほとんど何も行われなかったことに不満を抱いた一部の貧しい地域の住民は、教育は「権利であるべきである」とする、ブラウン 対 教育委員会の判決に基づいて、訴訟を起こした。すべての人が平等な条件で利用できるようになりました。これらの訴訟は、最高裁判所の判決に基づき、貧困地域の住民が、「平等な条件」で、教育を受けることを妨げる資金格差は、憲法に違反すると、主張しました」 ということで、the ruling とは「判決」という意味の「名詞」です。


【質問 No. 25020】 ヘルマン・ヘッセ「シッダルタ」から ヨッシー 2024-06-20 11:12:05
 お世話になります。

 What I meant was, that <love>(→I love) this very stone, and the river, and all these things we are looking at and from which we can learn. I can love a stone, Govinda, and also a tree or a piece of bark. <This>(→These) are things, and things can be loved. But I cannot love words. Therefore, teachings are <no>(→not) good for me, the quality of not being soft hardness, they have <no a gentle way>(→no gentle way) of acting softness, no colours, no edges, no smell, no taste, they have nothing but words. Perhaps it <are>(→is) these which keep you from finding peace, perhaps it <are>(→is) the many words. Because salvation and virtue as well, Sansara and Nirvana as well, are mere words, Govinda. There is <no thing>(→nothing) which would be Nirvana; there is just the word Nirvana.

 (手塚富雄訳)
 「わたしがこの石、この河、またわたしたちの心を惹き、わたしたちに教えを与えるいっさいのものを愛しているということを言いたかったためかも知れない。わたしは一つの石を愛することができる、ゴヴィンダよ、そしてまた一本の樹、一片の樹皮を。それは『もの』だ、そして『もの』をわたしたちは愛することができるのだ。しかし言葉をわたしは愛することができない。それゆえ教えはわたしにとって無縁だ、教えには硬さがない、柔らかさがない、色もなく、角もなく、香りもなく、味もない、あるのは言葉ばかりだ。おそらくは、平和を見出そうとする君をさまたげているのはこれではあるまいか、このあまりに多い言葉では――。何となれば、解脱というも、徳というも、輪廻というも、涅槃というも、単なる言葉にすぎないのだ、ゴヴィンダよ。涅槃というようなものは存在しないのだ。あるのはただ涅槃という言葉だけなのだ」

Q1: This are things, it are these, it are the many words と、単数主語を、複数補語で受けています。なぜ、複数主語ではないのか、あるいは、単数補語ではないのでしょうか。

Q2: the quality of not being soft hardness, they have no a gentle way of acting softness, の部分は、「教えには硬さがない、柔らかさがない」と和訳されていますが、腑に落ちません。

 解説をお願いします。


【回答】
 お久しぶりです! 相変わらず、お元気のご様子で、何よりと、お喜び申し上げます。
 
 さて、今回のご質問ですが、恐らく、この英文は、ドイツ人の Hesse が書いたというよりも、ドイツ語で書かれたものを、誰かが英訳したものと、思われます。そのため、英語に、極めて初歩的な間違いがあります。原文に、修正を加えてみましたので、ご参考になさってください。これが、Q1: に対する、私の回答です。

 Q2: については、Therefore, teachings are <no>(→not) good for me, the quality of not being soft hardness, they have <no a gentle way>(→no gentle way) of acting softness, no colours, no edges, no smell, no taste, they have nothing but words. の部分の意味は、私の解釈では、「従って、教えというものは、私にとっては、良いものではありません。なぜなら、その中身が、柔らかな硬さを備えていないというのが理由で、教えには、柔らかさを演じる手立てもなく、色もなければ、隅もなく、匂いも、味もなく、あるのは、言葉だけだからです」ということになります。



【質問 No. 25019】 英語から日本語への変換について あい 2024-06-20 05:35:43
 お世話になっております。

 英語の文章を読んでいる際に、意味を理解しようとすると、理解はできるのですが、日本語と併用させて考えてしまうと、いつも差が生じ、解釈できない場面が多くあります。これは、日本語の理解力が、まだ、乏しいという理由でしょうか? 和訳すると、難しい日本語になるような文章では、この現象が多く発生します。

 ご教授願います。


【回答】
 私も、高校から、大学にかけて、英文は、大体内容は理解できるのに、適切な日本語にならないことに、悩んだことがあります。そのことを、つらつら考えてみると、私には、日本語の語彙や、一般常識が不足しているからだ、ということに、気づきました。英文を、最も適切に、翻訳できるためには、世界の一流人が書いたものを、理解し、日本語に翻訳することには、たかが高校生くらいの人生経験しかない者が、そんなに適切に、翻訳できるはずがないわけです。ですから、世界の著名な、大人が書いてものを、適切に翻訳できるためには、それを書いた人たちと、同じくらいの知識と、知恵と、常識を持っていなくてはならないわけです。それは、大体の人にとって、叶うはずのないことなのです。ですから、上手に英語を日本語にするためには、それを書いた人と同等の人生経験がなければなりません。一般の人は、英語でなくても、日本語でも、大人の、著名人が書いたと同じ文章を、書くことは、まず、できないでしょう。

 そのことに気づいた私は、私に欠けているものは、英語力だけでなく、それを表現するための、日本語の力をつけなければならない、ということでした。そのためには、高校や、大学で、知識を増やし、日本語の本をたくさん読んで、あらゆる分野の知識と、経験をしなければ、ならないと気づいたわけです。そこで、私が実行したのは、夏休みに、図書館に篭り、1日一冊の本を、読破する、ということでした。当時、何を読んだらいいか、わからなかったので、当時売れていた「世界の100冊の本」という本を購入し、それを読破しようと、毎日図書館に通って、「1日一冊」を目標に、読み進めました。図書館の人たちとも、すっかり仲良しになるほどでした。そうこうしている間に、いつの間にか、私は、最も苦手としていた作文が、格段上達したように感じましたし、当時よく行われた、県主催の英語のスピーチコンテストで、賞を取るまでになりました。やはり、「100冊の本」のおかげでした。スピーチの題が与えられたら、それについて、しっかりと考え、それを英作文して、何度も練習して、暗記して、臨みました。ですから、高校時代に、すでに、教会のアメリカの牧師さんの通訳を頼まれて、信者の前で、通訳することもできるようになりました。こうした修行が、今も役立っている、と思っています。



【質問 No. 25018】 命令文の変形について ab 2024-06-20 04:57:10
 いつも、ご回答を、ありがとうございます。前に、英詩の、私訳の添削のしていただいた時に、"Be it my loss." は、命令文 (又は、祈願文)で、元々、"Let it be my loss" や、"May it be my loss" だと教えていただきましたが、これに関することで2つ、質問があります。

 Be that day soon forgotten.

1. この英文は、元々、命令文の Let that day be soon forgotten だと思うのですが、これが、どういった仕組みで、Be that day soon forgotten. になるのでしょうか。

2. この英文の訳は、「その日を忘れることにしよう」などで、ニュアンスとしては、「話者が、意欲的に忘れようする」で良いのでしょうか?


【回答】
 「祈願文」の典型的な形は、I pray (that) that day (may) be forgotten soon. 「私は、その日が、早く、忘れられるよう、祈ります」 というもので、それが、I pray (that) が省略され、残った部分が、倒置文の形になり、May that day be forgotten soon. となったり、さらに簡略されて、Be that day forgotten soon. となったりするのです。日本語でも、「その日が、早く、忘れられますように(祈ります)」という風に、(祈ります)の部分が省略されるのと同じなのです。また、朝の挨拶言葉の Good morning. にしても、元は、I pray that this morning may be a good morning for you. 「今朝が、あなたにとって、良い朝となりますように、お祈りします」という言葉が、短くなって、Good morning. となったものなのです。以上が、ご質問の 1. への回答です。

 次に、Be that day soon forgotten. の訳は、「あの日が、早く、忘れ去れますように(祈ります)」となります。



【質問 No. 25017】 「who」の位置が違うと、こんなにも意味が変わる!? アナコンダ 2024-06-19 18:59:34
 次の2つの英文で、(1) I know が修飾する位置はどこか、(2) 2つの英文の和訳、(3) 2つの英文の意味・ニュアンスの違いについて、説明をお願いします。

A. He is the only man who I know is trustworthy.
B. He is the only man I know who is trustworthy.


【回答】
A. の意味は、「彼は、わたしたが信頼するに足ると思っている、唯一の男だ」ということで、I know は、who is trustworthy の中に、挿入されたものです。

A. の意味は、「彼は、信頼に値する、私が知る、唯一の男だ」ということで、the only man (whom) I know とは「私が知っている唯一の男」という意味です。この場合、I know は、the only man を修飾しているのです。



【質問 No. 25016】 英文の解釈について zoro 2024-06-19 18:47:54
 先生、前回の質問へのご回答、ありがとうございました。昨日の文章の続きから、質問があります。

 Quantitative data now shows that while increased budgets may not always raise standardized test scores, they do correlate with more years < spent > in school and higher earnings in the working world.
(私訳)「予算の増額がいつも、標準化された試験の点数を上げるとは限らないかもしれないが、学校に費やした数年間と、仕事の世界における、より高い収入に関係があると、大量のデータが示唆している」

 spentは、過去分詞で、more years を修飾しているのですか?

 よろしくお願い致します。


【回答】
 ご質問お英文の意味は、「かかる費用を増やしても、必ずしも、標準テストの点数を上げることになるとは、限らないとしても、数量データの示すところによると、掛けた費用の額が、在学年数の長さと、仕事世界における稼ぎ高の高さの間には、相関関係が存在することが、証明されている」ということで、高学歴で、高所得は、かけた費用に比例する、ということです。more years (which are) spent in school とは、「学校で過ごした、より多くの年数」という意味で、spent の前には、which are が省略されていると、思ってください。


【質問 No. 25015】 as の品詞について YT 2024-06-19 18:27:06
 こんにちは。

 Steve is a talented architect whose portfolio includes such landmarks as ABC Tower and Barrie City Hall.

 この文の as の品詞は、何でしょうか?



【回答】
 ご質問の英文の意味は、「スティーヴは、ABC タワーや、パリの市庁舎なのランドマーク(旅行者などの、目印になる建物など)を、ポートフォリオ(代表作品集)に含む、才能ある建築家です」ということで、such ~ as ... とは、「例えば、... のような、(そのような) ~」という意味を表す「相関接続詞」で、such は「形容詞」で、as は「前置詞」という組み合わせで、できたものです。


【質問 No. 25014】 Okinawan について 賀正 2024-06-19 18:05:06
 どうして、沖縄にだけ Okinawan という用法(名・形)が、あるのでしょうか? 日本の地名で、このような用例は、他にありますか?

【回答】
 戦後、沖縄には、大勢のアメリカ兵とその家族が住むようになったため、その土地の名前である Okinawa に、「人」や、「形容詞」としての、-n をつけて、Okinawan people, Okinawans などの言葉が、彼らによって、作られたものおと思います。これは、America に、-n をつけると、American 「アメリカの、アメリカ人」という意味になるのを、模倣したものです。そのほかにも、「東京人」という意味を表す Tokyoite [トウキョウアイト]という言葉も存在しますが、今では、あまり使う人はいないと思います。


【質問 No. 25012】 &#594;&#769;について YT 2024-06-19 17:49:57
 こんにちは。

 long の発音記号に、l&#594;&#769;&#720;&#331;, l&#593;&#769;&#720;&#331;とありました。この、前の読み方は、イギリス英語なのでしょうか? 私は、アメリカ英語で勉強しているのですが、後の発音で、覚えて大丈夫でしょうか。


【回答】
 long の発音には、イギリス英語では、「ロング」と発音されますが、アメリカでは、口を大きく開いた「ラング」、または、「ローング」と発音されます。しかし、残念ながら、このサイトのプログラムでは、発音記号が書けませんので、カタカナの記号で、我慢してください。なお、ご心配の、アメリカ英語の発音で勉強されているそうですが、英米人は、日本人が、色々な地方の発音でも、理解し合うことができるように、どちらの発音で話されても、通じますので、大丈夫です。


【質問 No. 25011】 現在完了形の「継続用法?」について 香炉峰 2024-06-19 15:15:11
 おはようございます! 昨日は、丁寧な解説をいただきあり、ありがとうございました。本日の質問は、以下の文についてです。

 Photograpy, a pastime whose growth stagnated at the end of the last century, when personal computers and video games preoccupied many minds, has seen a rise in popularity.

 上記の文の has seen a rise in popularity を、テキストの和文では、「また、人気を盛り返してきています」と、なっているのですが、直訳としては、「人気の高まりを見てきた」⇒「人気の高まってくるのは見てきた」⇒「人気が高まってきている」という理解で、よいのでしょうか。テキストの和文のように、「盛り返してきている」と、あたかも、現在完了進行形のように訳していいますが、has seen a rise の中に、「進行形の要素」も含まれているのでしょうか。ご教示いただけましたら、幸いです。


【回答】
 ご質問の英文の意味は、「写真撮影は、パソコンや、ビデオゲームが、多くの人の心を占めていた前世紀の終わりには、成長が渋滞した娯楽でしたが、最近では、、人気が高まってきています」ということで、has seen a rise in popularity とは、「人気の上昇を見るようになってきた」という意味で、has seen という「現在完了形」は、「過去から、現在までの、「完了、継続、経験、結果」を表しますが、どれか、一つの用法を表すのではなく、「現在形」と、「過去形」とを、合わせたような、ニュアンスを表すのです。ですから、文脈によって、色々な訳になるのです。その中で、文脈に最も合致した日本語訳を、見つけることが、翻訳者の力の見せ所となるのです。


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