【質問 No. 22687】 as について |
のん |
2023-08-27 05:31:00 |
いつも、お世話になっています。早速、質問します。
I begin with this discussion of stories because it is important to understand that, whether they know it or not, every child is already halfway to being a book-lover. Every child already loves stories. Whether it's through movies, television, or video games, every child already has a preferred method of story intake. This is fine! <Movies, television, and video games are not our enemies as educator>. They are simply alternative methods of storytelling.
Movies, television, and video games are not our enemies as <educator>(→educators).
「映画や、テレビや、テレビゲームは、教育者としての私たちの敵ではない」
as educators は、前置詞句で、our enemies を修飾する形容詞の働きを持つ、と判断したのですが、「教育者としての私たちの敵」とは、どういうことでしょうか? not our enemies but educators ならわかるのですが、as が代わりに使われているのに、すごく違和感があります。
宜しくお願いします。
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【回答】
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ご質問の our enemies as educators とは「教育者としての私達、の敵」という意味で、as educators は、our enemies 全体を修飾しているのではなく、the enemies of <us educators> 「教育者としての私達の、敵」という意味で表現しているので、やや “不自然” な構造ですが、「教育者としての私達の、敵」という意味として、強引に表現しているのです。確かに、as educators を、our だけの修飾語とするこの構文は、やや論理性を欠きますが、不可能な表現ではないのです。通常、読者は、気づかずに見過ごしてしまう構文です。「のん」さんは、よくぞ気付かれた、と褒めてあげたい気持ちです!
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