【質問 No. 25020】 ヘルマン・ヘッセ「シッダルタ」から |
ヨッシー |
2024-06-20 11:12:05 |
お世話になります。
What I meant was, that <love>(→I love) this very stone, and the river, and all these things we are looking at and from which we can learn. I can love a stone, Govinda, and also a tree or a piece of bark. <This>(→These) are things, and things can be loved. But I cannot love words. Therefore, teachings are <no>(→not) good for me, the quality of not being soft hardness, they have <no a gentle way>(→no gentle way) of acting softness, no colours, no edges, no smell, no taste, they have nothing but words. Perhaps it <are>(→is) these which keep you from finding peace, perhaps it <are>(→is) the many words. Because salvation and virtue as well, Sansara and Nirvana as well, are mere words, Govinda. There is <no thing>(→nothing) which would be Nirvana; there is just the word Nirvana.
(手塚富雄訳)
「わたしがこの石、この河、またわたしたちの心を惹き、わたしたちに教えを与えるいっさいのものを愛しているということを言いたかったためかも知れない。わたしは一つの石を愛することができる、ゴヴィンダよ、そしてまた一本の樹、一片の樹皮を。それは『もの』だ、そして『もの』をわたしたちは愛することができるのだ。しかし言葉をわたしは愛することができない。それゆえ教えはわたしにとって無縁だ、教えには硬さがない、柔らかさがない、色もなく、角もなく、香りもなく、味もない、あるのは言葉ばかりだ。おそらくは、平和を見出そうとする君をさまたげているのはこれではあるまいか、このあまりに多い言葉では――。何となれば、解脱というも、徳というも、輪廻というも、涅槃というも、単なる言葉にすぎないのだ、ゴヴィンダよ。涅槃というようなものは存在しないのだ。あるのはただ涅槃という言葉だけなのだ」
Q1: This are things, it are these, it are the many words と、単数主語を、複数補語で受けています。なぜ、複数主語ではないのか、あるいは、単数補語ではないのでしょうか。
Q2: the quality of not being soft hardness, they have no a gentle way of acting softness, の部分は、「教えには硬さがない、柔らかさがない」と和訳されていますが、腑に落ちません。
解説をお願いします。
|
【回答】
|
お久しぶりです! 相変わらず、お元気のご様子で、何よりと、お喜び申し上げます。
さて、今回のご質問ですが、恐らく、この英文は、ドイツ人の Hesse が書いたというよりも、ドイツ語で書かれたものを、誰かが英訳したものと、思われます。そのため、英語に、極めて初歩的な間違いがあります。原文に、修正を加えてみましたので、ご参考になさってください。これが、Q1: に対する、私の回答です。
Q2: については、Therefore, teachings are <no>(→not) good for me, the quality of not being soft hardness, they have <no a gentle way>(→no gentle way) of acting softness, no colours, no edges, no smell, no taste, they have nothing but words. の部分の意味は、私の解釈では、「従って、教えというものは、私にとっては、良いものではありません。なぜなら、その中身が、柔らかな硬さを備えていないというのが理由で、教えには、柔らかさを演じる手立てもなく、色もなければ、隅もなく、匂いも、味もなく、あるのは、言葉だけだからです」ということになります。
| |