【質問 No. 21794】 旧約聖書: ハバクク書 2:1 の訳について |
ヨッシー |
2023-04-25 16:14:24 |
お世話になります。
旧約聖書 ハバクク書2:1を、英語(KJV、ESV)、日本語(新共同訳、新改定訳3版)で、以下のようになっています。
KJV: I will stand upon my watch, and set me upon the tower, and will watch to see what he will say unto me, and what I shall answer when I am reproved.
ESV: I will take my stand at my watchpost and station myself on the tower, and look out to see what he will say to me, and what I will answer concerning my complaint.
新共同訳: 「わたしは歩哨の部署につき/砦の上に立って見張り/神がわたしに何を語り/わたしの訴えに何と答えられるかを見よう」
新改定訳3版: 「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」
英語版では、what I shall answer、what I will answer となっている個所、つまり“ I ”が主語、となっている個所が、日本語版ではどちらも、「神(主)が、私の訴えに何と答えるかを見よう」と主語が神(主)になっています。(述語は、どちらも、answer「答える」)
つまり、主客逆転しているように見えます。どう解釈したらいいのでしょうか。
よろしくお願いします。
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【回答】
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おっしゃる通り、英語訳で、what I shall/will answer と「私」が主語となっているところが、日本語訳では、「神」と改められていることがわかります。この“謎”が、何を意味するか、については、議論があり得ると思いますが、私の考えでは、英語訳は、1612年の「欽定訳聖書」として、ラテン語から翻訳しているので、日本語版では、その誤りを直そうとして、ギリシャ語による原本から訳した、と言っていますから、日本語訳の方が新しく、英語訳は、古い訳を踏襲しているのではないか、と愚考いたします。理屈の上から言っても、日本語訳の方が、自然のように感じられます。
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